2007年12月31日月曜日

今年一年雑感!

今年も今日で終わりだ。今年を表す漢字に【偽】が選ばれるという悲しむべき年であった。個人的には【騰】を実感した年と思う。収入が全く増えない質素な生活をしている身には、ガソリンや灯油の値上がりは言うに及ばず住民税や社会保険料其の他の公的負担金の増加。そして日々の生活に欠かせない各種食品の値上がりとここ数年体験したことの無い状況であった。
各種報道に依ると、来年は更なる値上げ攻勢が待ち構えていると言う。収入増の見込めない(個人的不景気かな)いま、生活防衛をいかにすべきか苦慮している。
貯蓄から投資へと言われて久しい。その言葉に踊らされ、微々たる貯蓄を株式投資につぎ込んだらなんと日本の株式市場は5年ぶり?かの年間陰線を記録してしまった。それに正比例し当然私の株式投資も赤字であった。
貧乏人は少ないお金を増やそうなどと考えず慎ましやかに生活するのが一番である。
来年は質素を旨とし、堅実な生活を心掛けたいものである。そして、ここで憤慨したりする事件などが起こらないことを祈らずにはいられない。日記の題材に苦労し、一日の平凡な出来事を綴れる日が来て欲しいものだ。
最後に、拙いこの日記をお読みいただいた方々全てが【良い年を迎えられる】事を祈念します。

2007年12月30日日曜日

裁判員制度考察!

日新聞【耕論】は裁判員制度について述べられている。内閣府の2006年12月の調査で、知っているが80.7%あり、この一年で更に認知度はアップしている事だろう。残念なのは義務であっても参加したくないが33.6%もある事である。お上にお任せの社会から国民自らこの社会を作っていく為に、権利として参加したいと思う人が増えて欲しいものである。
今日の論客の中では、大久保太郎さん・元東京高裁部総括判事の意見には違和感を感じる。氏は【『違憲』濃厚強行を許すな】として「裁判員は表決にあたり裁判官と同じ一票を持つから、実質裁判官だ。これは、憲法80条一項の規定に抵触する。裁判員が裁判に関与する根拠は、憲法のどこにもない。」「また、憲法37条一項は被告の『公平な裁判所の裁判を受ける権利』を保障しているが、その裁判一回限りで何の責任も負わない裁判員が加わった裁判所が『公平な裁判所』といえるのだろうか」と述べている。
80条一項に関しては、裁判員を実質裁判官と看做すことに無理がある。表決で一票を有していようとも全ての権限まで裁判官と同じではなかろう。裁判官と裁判員は違うのである。公平性の議論は、全く官の驕り以外の何物でもなく、国民を愚弄するものである。プロの裁判官が公平で一般国民の行いげ公平で無いなどとよく言えたものだ。
その点、四宮啓さん・弁護士の【司法を国民に取り戻そう】は共感を覚える点が多々あり納得できる意見であった。特に「国民が議論した末の結論こそ『真実』だという考え方を日本社会は身に着けていくだろう」と述べてられるもはまさに、裁判員制度に限らず今後日本社会が目指す道そのものだろう。
また、バレリー・ハンズさん・米コーネル大ロースクール教授が言ってられる「守秘義務」のあり方などの制度は【壮大な実験に注目したい】とあるように今後結果をみてより良いものにしていってもらいたいものである。

2007年12月29日土曜日

またまた新幹線新駅問題を考える!

滋賀県の新幹線新駅問題対策専門委員の意見交換会が昨日開かれたとの朝日新聞の記事を目にした。新聞の見出しは【「新駅後処理は県に責務」区画整理巡り専門委が指摘】となっていた。その記事に依ると、新駅中止を評価する意見がでたが、事後処理に関しての県の責務を指摘する意見が相次いだという。
青山吉隆・京都大学名誉教授は「事業を続けた場合と、中止した場合の費用対効果をきちんと示すべきだった」と指摘。山崎浩一弁護士も「費用対効果を示すことは、公共事業を続けるかどうか住民が評価する際の大事な基準になる。」と話した。とあり、両者の意見は至極当然のように聞こえる。しかしこの考え方には納得できない。この国の公共事業の全てと言っても良いくらい推進派達や官僚の[まやかし]の評価によって騙し続けられてきた歴史がある。事業を推進したいが為の数字合わせの需要見込みがなされるなど日常茶飯事ではないか。何れにしても将来に亘っての正確な費用対効果測定など出来ないと考えた方が良い。反対派は反対派で幾らでも見積もれるからである。
そんな中、田中治・大阪府立大経済学部長が「公共事業の実施計画は一定の期間で見直す仕組みをあらかじめ作る必要がある。」という意見は傾聴に値する。
何十年も前に先人達が夢見て計画したことを、世の中が変わってその事業を粛々と推進している現状を改める機会にしたいものである。
最後に、土地区画整理事業について、山崎弁護士が「政策変更に行政の過失がないにしても、変更によって不利益を被る人にきちんと補償を行うべきだ」と指摘した。これに対し嘉田由紀子知事は「公費で補償する法的根拠はないのではないか。」と反論したらしい。
全く、嘉田知事の考えは正論であると考える。この考えを押し通してもらいたいものである。山崎弁護士は、計画が変更されず、巨額の投資で実現し財政が悪化して不利益を被る県民にどう補償するのか。この多くの県民が被る不利益を回避したことを評価すべきである。余程この事業を推進することで利益を目論んだ人たちがいることを証明する発言以外の何物でもない。一部の地権者の利益代表的発言は許せない。

2007年12月28日金曜日

大江康弘参議院議員は自民党の間者か!?

大江康弘参議院議員(民主党・比例区)が党の揮発油税暫定税率撤廃方針に真っ向から反対し、自民党の道路族議員と行動を共にしているという。党内で署名活動を行い三十数名の署名を集めたらしい。道路特定財源の内特に暫定としているにも係わらず永年恒久的に続けている税制を原点に戻すのに何故反対なのだろう。「地方には必要な道路がまだまだあり、その税源を確保し自由に使う為には廃止すべきでない。」等と嘯いているが、必要な道路があるなしの議論など無意味である。必要な道路がある事は当然であって、その中で少ない財源(潤沢な特定財源を減らし)の中から如何に優先順位をつけていくかだけだろう。

この、大江康弘議員に関しては、今までにも此処で過去3回も記してきた。最初は、2006年11月26日に和歌山県知事選挙の候補者選定についてであった。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20061126そして二回目は2006年12月17日に同じく知事選挙での自民党を利する行動をした件だ。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20061217更に、2007年12月23日に今回と同じ件で記した。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20071223

折角、自民党との対立軸を明確にして二大政党制の良さを国民に訴えようとしている矢先に、自民党の悪しき体質と全く同じ行動をとるのは民主党の中の自民党間者としか思えない。

2007年12月27日木曜日

門川前教育長の行いの非が証明された。

平成20年2月17日に行われる、京都市長選挙に立候補を表明している、京都市教育委員会の前委員長門川大作氏の遵法精神の欠如と独善体質が裁判で立証された。
門川大作氏についてネット上で【門川教育長12の大罪】と云うのを見つけた。その中の一つに【物言わぬ教員をつくるため、優秀教員表彰やパイオニア委託事業等の名目で、この6年間で約6000名もの教員に2億数千万円もの公金をばらまいてきた罪】というのが記されている。
この事に関して市民団体らが京都地方裁判所に起こしていた訴訟の判決が昨日あった。判決内容は朝日新聞の記事によると「市教委が奨励する『教育改革パイオニア実践研究事業』で、学園長が推薦する教職員に図書購入費の名目などで1人5万円まで支給。この2年間(2002~03年)に教職員1425人に計約7100万円が支払われた。この研究委託費の支給は『教職員の勤務に対する報酬と区別し難い支出といわざるを得ず、法律や条令以外では支給出来ないとしる地方自治法に反する。』」と指摘して、桝本頼兼京都市長に対して、「違法な支出をしないようにすべきだったのに漫然と怠った」として「門川大作前教育長らに2年間の支出全額約7100万円を請求する」ように命じた。というのである。
京都市は控訴する方針を示していると言うが、例え一審判決であり、確定判決では無いとは言え、教育長という立場にある人間が法律を無視して独善的に公金を支出していた事は紛れも無い事実である。この様な人物がもし京都市長に当選したならば、そしてこの判決が確定したならば、市長たる門川が前教育長たる門川に請求するという考えられない事態となる。この他にも、11の大罪が綿々と綴られているのを読むと果たして市長に相応しい人物なのかおおいに疑問を感じる次第である。
京都市民でない小生に京都市長選挙の選挙権が無いのが甚だ残念の極みだ。

2007年12月26日水曜日

朝日新聞、社説に異論あり!

26日朝刊の社説の一つに【NHK新会長 経営委員会の見識を疑う】というのがある。NHKの組織や、新会長の仕事、更には新会長に選ばれたアサヒビール相談役の福地茂雄氏がいかなる人物か知る由も無い小生が言うのもおこがましい事ではあるが、「NHK会長は何よりも高いジャーナリズム精神の持ち主でなければならない」とし、財界人では務まらないと主張している。更に、福地氏は放送界にもジャーナリズムにも無縁であり、予算を国会で等差無ければならず、常に政治との距離が問われる。政治家が何を言ってきても、がんとしてはねつけなければならない。ビール会社の営業畑の人がふさわしいのだろうか。とまで言う。

これ程、一般企業人や営業に携わって来た人間を見下した言い方は無いだろう。放送界に生きてきた人物がそれ程ジャーナリズム精神に溢れているのか。放送界で頻発したやらせ番組や捏造番組が作られたのは何故なのか。またどこかの新聞社の社主の言動を見るがよい。決して高い理念に基づいて行動しているとは思えない。

自らの業界だけが一歩高いところにいると考える思い上がった社説と言わざるを得まい。

2007年12月25日火曜日

裁判所は憲法判断を避けるな!

朝日新聞夕刊に《9条判決 天で待つ》と言う記事があった。それは、去る7月30日に亡くなられた小田実さんが原告代表として国を相手に、「戦火のイラクへの自衛隊派遣は武力行使を禁じた憲法9条に違反する。として派遣の違憲確認や差し止めを求めた訴訟」の大阪高等裁判所での判決が明日言い渡されると言うものである。
この様な訴訟は全国10地裁で相次いだが、地裁段階では憲法判断を避けて「民事上の請求権はない」として原告敗訴の判決が出て、今5高裁で控訴審が続けられている内の一つだという。専門的法律知識の無い小生には「民事上の請求権はない」等と言う事は分からない。しかし、日本の国民がその国で行われている事実に対して憲法上疑義があると考え裁判に訴えるが(請求権が無い)と退くられる事は理解できない。納めた税金が使われて自衛隊が活動する事は直接的に全ての国民に関係あることではないのか。
行政府や立法府の行為を被害を受ける国民が司法に訴える事は民主主義国家で許される当然の権利である。特に昨今、憲法が蔑ろにされるよう動きが頻発している状況下では司法判断が唯一の救いではないのか。
明日の大阪高等裁判所の判決は、訴訟事実に正面から応える内容の判決であって欲しいものである。合憲なら合憲・違憲なら違憲とし、決して憲法判断を避けてはならない。もし憲法判断を避けるならそれは司法の死さえも意味するものとなろう。

2007年12月24日月曜日

自動車税の不可解さ!

地球環境を保護するという名目の下、排出ガス及び燃費性能の優れた環境負荷の小さい自動車に対して自動車税を軽減される。その一方新車新規登録から一定年数を経過して環境負荷の大きい自動車は税率が重くなるという「自動車税のグリーン化」なるものが実施されている。新車購入時、翌一年間条件によって25%~50%税額を軽減される。逆にディーゼル車では新車新規登録から11年目から、又ガソリン車などは同じく13年目から10%税額がアップするという税制なのである。環境問題から物を長く使おうと言う事が言われている一方で長く使う事が罪悪の如き税制が存在するのは何故だろう。
廃車処理の為の環境負荷や新車製造の環境負荷などは無視されているという。新しく新車に乗り換えれば税制優遇し、長く大切に使用している車からは懲罰的重税を課すのはまさに【自動車業界】の為だけの施策としか考えられない。
ここでも、環境に名を借りた業界寄りの施策が行われている。自動車業界保護の【新車買い替え促進税制】と言い換えれば反対される為、得意な言い換えによって多くの国民を騙す得意のやり口を垣間見る事ができる。
この税制を延長を認めささないようにしたいものである。

2007年12月23日日曜日

民主党に失望!

元々、民主党にそれ程の期待をしていない身からすれば、失望することもないのだが、昨日の朝日新聞朝刊4面の記事「ニュー族議員出現」を拝読し、「政・官・財」のもたれあい構造はたとえ政権交代が起こっても無くならないことを強く感じた。
参議院選挙の結果、政権交代が現実味を帯びて来たとたんに民主党にも新しい族議員が出現しているというのである。民主党の税制調査会総会で道路特定財源の一般財源化を柱とした大綱素案が説明された時、次の内閣・国土交通副大臣の大江康弘参議院議員(比例区)が反対派の先頭に立って反対したという。又、次の内閣・国土交通省の長浜博行参議院議員(千葉選挙区)も数日前に、この考えの受け入れを拒否した。
この二人の議員は元々の道路族では無いという。7月の参議院選挙で当選し、民主党の国土交通部門会議の主宰ポストに就たという。そこで地方からの陳情で「道路財源を確保して欲しい」と多数求められた為、この様な行動に出たのだろう。
参議院選挙で民主党が勝利しなければ、たとえ同じポストに就いていようとも、この様な陳情を受けることもなく族議員に成り下がる事は無かったのだはないか。
第二自民党の出現を想起させられるこの現象を嘆かずにはいられない。「族議員が窓口となって業界の要望を実現し、選挙の際に業界が票で返す」この構図こそ断ち切らなければならないものなのであろう。いつまでたっても組織も無い一般国民の方をみた政治など実現されるものではない。

2007年12月22日土曜日

忍び寄る不気味な力!

何事も最初は気づかない形で物事は始まる。今日の新聞記事で大変不気味な予兆と思える記事に遭遇した。
「マクド食べてはいけない」という週間現代の中つり広告の「食べて」を黒塗りにして掲出したり、「食べてはいけない」を削除して、記事の脇の見出しを拡大したり、はたまた掲出を見合わせた鉄道会社までもがあるというのだ。
鉄道各社は、掲出ガイドラインを作ったり、独自基準を設けそれぞれの裁量で判断しているという。「内容が明白な事実と確認できない」や「通常認めてない意見広告にあたる」など「表現上に問題がある」としている。鉄道会社の中には、「駅構内のテナントにも入っており『食べてはいけない』商品を販売している認識は無い。」というところまである。
一見、鉄道会社の対応は問題の無い様にも思えるが、この様なことを許しておくと取り返しの付かない事態に発展する恐ろしさを感じずにはいられない。
週刊誌や雑誌などの中づり広告で、その記事が「明白な事実と確認できない」から掲出をしないと言う事は、その鉄道会社は世の中全ての事象の事実確認能力があるというのか?世の中を揺るがすスクープ記事だった場合、それこそ今まで確認できなかったことの内容ではないのか。一部違いこそあれ、各鉄道会社がこの様な対応をするということは、自主規制の名を借りた何か強い力が働いているように思える。
言論統制的行為は小さな内に摘み取っておくべきである。

2007年12月21日金曜日

困ったもんだね、福田さん

福田内閣の支持率が急落している。朝日新聞社が12月19、20日に実施した全国電話世論調査に依ると、支持するが31%で前回調査から13%の大幅低下。支持にないも48%で前回より12%増えて、支持するとしないが逆転した。
各報道機関が行うこの様な支持率調査には結構バラつきがあり、この調査をもって全ては判断できない。又、政治は支持率を上げる事が目的ではないので一喜一憂することも無いかもしれない。だが、この支持率低下の原因は明確に把握するべきであろう。
困った事に、支持率低下について記者団に聞かれた福田首相は「間違ったことをしているとは思っておりません。」と述べたと言うのである。この感性の鈍さは国政を運営していく責任者として大問題である。

年金問題での他人事の様な発言の繰り返し、独立行政法人の整理合理化計画でのリーダーシップのなさと先送り体質。そして、政治決断を迫られた、薬害C型肝炎訴訟の和解協議での無責任発言と官僚任せのやり方。
官僚の言いなりになっているとさえ思えて仕舞う情けなさ。官僚の親分の首相を望んではいない。国民の負託をうけた国会議員としての政治家たる首相であるべきだ。それが議院内閣制というものだろう。福田内閣の現状は【官僚内閣制】と言っての過言ではない。
安倍、福田と二代も衆議院選挙で国民の信認を受けていない首相が続いている。一刻も早く衆議院を解散し政権交代での現状打破を期待する。

2007年12月20日木曜日

諸悪の根源、御手洗キャノン会長

この日記でも再三再四採り上げてきた事であるが、今の日本に於いて御手洗冨士夫程の悪は存在しないのではなかろうか。「鹿島建設の所得隠し事件」でも彼の存在が報じられたがその後の続報も無く、またTVでも採り上げられないので不思議に思っていたら、「天木直人ブログ」http://www.amakiblog.com/archives/2007/12/19/#000631でその事が書かれていた。

勤労者を人間として見ず、自社の製造用機械の一部としか考えず、しかも偽装請負などを行い遵法精神の欠如した人物が、経済界のみならず政治にも大きな影響力を持っている事がこの国の不幸だろう。

国家権力に期待するものでのないが、この事件の徹底究明を検察当局に期待したいものである。次から次と事件や問題が発覚する為に、すぐ前のことなど忘れてしまいがちであるが、その忘れ易さが好き勝手をさす元凶ともなっていることだ。私達はいつまでも忘れず追求していく事がこの国の希望となることだろう。

2007年12月19日水曜日

厚生労働省は国民の敵か!?

一人のがん患者が独力で、国(厚生労働省)と闘って勝訴した「混合診療訴訟」の判決から一ヶ月半が過ぎた。厚生労働省はその東京地裁の判決を受け入れず控訴して徹底的に争う姿勢である。
その混合診療問題に関して、今日の朝日新聞が「ざっくばらん」で規制改革会議委員の松井証券社長・松井道夫氏の話を掲載している。その論旨は政府の規制改革会議では混合診療の全面解禁を主張しているのに、何故厚生労働省と対立するのかという事である。混合診療禁止の厚生省の言い分は、1・保険外治療が広がれば、金持ち優遇になる。2・保険外の診療は安全確保などの面で問題がある。と言うことらしい。その点に関して、松井道夫氏は「混合診療が禁止されていて本当に困るのは経済的に余裕の無い人たちだ。『弱者は保険が認められるまでは我慢しろ』というような、乱暴な論理だ」「安全性の問題も、保険の対象であろうがなかろうが確保しなければならない。安全性に問題のある治療を取り締まる事こそ厚生労働省の任務である。」と述べている。

どちらの言い分に利があるかは明らかであり、即刻厚生労働省は控訴を取り下げるべきである。この問題に限らず「薬害C型肝炎訴訟」での対応も全てにおいて、国民、患者側の視点が見事に欠落しているのである。

2007年12月18日火曜日

京都に行ってきました

工事中

2007年12月17日月曜日

ねんきん特別便は責任転嫁か?

ねんきん特別便」の発送がいよいよ始まった。基礎年金番号が統合されていない、宙に浮いた年金記録を、公的年金の加入者や受給者に記録を確認してもらう為だと言う。受け取った「ねんきん特別便」は本人が確認して、間違いがあればそれを記入して返信するのである。しかし社会保険庁での記録漏れがあってもその明細は記載されていないと言う不親切極まりないやり方である。即ち、受け取った本人が訂正を申請して始めて統合がされる仕組みなのだ。疑わしき記録が見つかってもそれを加入者に知らせない事は責任を最終的に受給者に転嫁する以外の何物でもない。

又、記録訂正を求める人だけでなく、全ての人が返信を求められている。【訂正の必要なし】で返信すると、今後記録漏れに気づいて意義を申し立てても、この返信記録をもって「貴方が間違いないと言って確認した」とし堺保険庁は一切取り合わない事は目に見えたいる。

このやり方では、今までの受給申請時に確認すればよいとこの問題を放置してきた反省は全くないと言えよう。「貴方の記録で、これこれしかじかが漏れていました。申し訳ございません」と社会保険庁自らが進んで訂正して然るべき問題である。

2007年12月16日日曜日

銃社会、日本を憂う!

長崎県佐世保市で痛ましい事件が発生した。銃を持った人間がスポーツクラブで乱射し二人が死亡し多くの方が負傷した。銃の乱射事件といえば、アメリカの出来事であり、日本社会とは無関係と安易に考えていた。
以前から、日本の闇社会での銃の存在は指摘されており、それによる事件は度々発生している。しかし、今回の事件の様に警察の審査と都道府県公安委員会の許可を得て所持している銃による乱射事件はあまり記憶にない。この様に、許可を得て銃を所持している人は全国に約13万人以上にもなり、しかも銃の総計は約30万丁以上もあるというから驚きである。
銃の所持申請に対しては厳重な審査基準があるというが、一度取得した者の更新は至って簡単なのだという。今回の事件を起こしや容疑者も、日頃から奇行が指摘されていたという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071215-00000916-san-soci「銃を持って近所を歩いていて怖かった」といった証言や「警察に相談することもあった。」等と聞くと防ごうとすれば防げた事件のように思えてならない。
ストーカーによる殺人事件といい、警察の事前対応の取り組みはどうなっているのか。最近の警察の捜査能力の低下や、逮捕率の低下などの指摘を聞くと、事件が起きても逮捕出来ないなら「事件を未然に防ぐ」ことに注力すべきである。今回の事件を契機に、銃の許可のあり方やじゅうの所持方法(各自が家庭に保管するのでなく、射撃場や警察署などで一括保管管理するなど)を含めて安心して暮らせる社会づくりに取り組んでもらいたいものである。

2007年12月15日土曜日

現代戦争考!

今日の朝日新聞朝刊《異見新言》での明治大学准教授佐原徹哉氏の『中世化する戦争』は読まさせる記事である。記事によれば、冷戦後の戦争は国家間の戦争ではなく、中世において交戦権を持った自治集団である封建領主同士が戦っていた時代に逆戻りした如く、国家対民兵、或いは民兵同士の戦いに変わってきているという。

国軍に変わって怪しげで危険な任務などは民間の「警備会社」に大々的に肩代わりさせるようになったとし、今や、「米国の敵」は主権国家ではなく民兵組織となり、このような自治的集団が戦争の主体となっている。
そして、民兵は既存の社会の枠組みから外された人々が政治危機などを契機に自らの地位を再獲得しようとする動きに連動している。
此処で述べられていることから感じた事は、戦後60年以上直接的戦争に直面せず平和を築いてきた(平和ボケと言われ)この国が暮らしやすい国になったのかということである。ワーキングプアなる言葉に象徴されるような格差社会が固定化し、若者を初めとして閉塞感に満ち満ちていると感じても不思議ではない。平和がもたらした結果がこの様なものであるなら、平和などいらない、戦争で革命的にこの社会を破壊しても良しとする意見が若者の一部にあることはこのことをよく物語っている。

若者達に希望溢れる社会を提供する責任がいまの支配層にあるのではなかろうか。その事が戦争を無くす近道(戦争があっても良いとの考え)である。

佐原准教授の書いてられるが、「まず国家の側がルール順守に立ち戻ることであり、紛争地域に軍隊を送るという短絡的な発想ではなく、治安回復と社会正義の実現のための文民警官の増員や民生支援の拡大を考えなければならない」というのはその通りだろう。

短絡的に国際貢献の名のもとに、アメリカに軍事協力しインド洋で給油活動をする事がテロとの戦いに寄与するものでは全くないということだろう。

2007年12月14日金曜日

値上げ、値上げに青息吐息!

新聞に値上げの記事が無い日が無い程様々な物の値上げがなされている。収入の増える見込みの全く無い私のような生活者はどうすればいいのだろう。「森永・雪印・ニチロ、値上げへ」の記事の直ぐ下には「六甲バターもチーズ再値上げ」の記事。
森永乳業の値上げは、容量減も含めた実質値上げが約9%~20%。雪印乳業も同じく約6%~25%。そして、ニチロも約4%~11%だという。又、六甲バターの値上げは今年の8月に5%~26%されているのに、更に来年2月から主力商品で26%~48%の大幅なものだという。

食品関係の相次ぐ値上げが発表され、生活する上で影響が大きい。此処に来て野菜類の高騰も見られるようになってきている。安定した安値水準にあった、「きのこ類」まで高くなっている。

そこにまた、「キッコーマン、しょうゆ11%値上げ 輸入大豆が高騰」のニュースが飛び込んできた。トップメーカーの値上げ発表であるだけに、他メーカーの追従値上げも予想される。醤油が値上がりすれば当然醤油を使用した調味料等の値上げも予想される。

こんなに、色々の物が値上がりしようとしている時、消費税の税率引き上げの議論が燻っている。しかも国民の抵抗を弱める為、税の名称を社会保障税などに言い換えを企んでいる。

一般国民の収入増が伴わない時の物価上昇は生活破壊に直結する。政府は国民の生活を守る施策として、便乗値上げを監視すると共に、食品など生活必需品を消費税対象から除外すべきである。

2007年12月13日木曜日

今度こそ、起訴されることを望む。

10月29日にも書いたが、http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20071029飲酒運転の女子高生の車に衝突され、帰宅途中の短大生が死亡した事故で、時効を直前に控えたこの時期に、検察審査会は三度目の「不起訴不当」の議決を行った。

記事の時点では、検察審査会の二度目の「不起訴不当」の議決に対して、検察が三度目の不起訴処分にした時であった。
今回は11月19日に申し立てを受け、時効直前ということから、優先的に審査されたという。又、議決の理由は「運転していた女性は飲酒で注意力が散漫となり、状況判断能力などが減退していた。飲酒運転していなければ、衝突は回避できたのではないかと考えられる」としている。(朝日新聞の記事より)

死亡事故に関しては、以前から被害者に不利(過失が多く認定される傾向)な判断がされる事が多いと聞く。死人にくちなしで、加害者側の証言が影響しているのだろう。こんな理不尽を認めてはならない、厳正なる捜査を強く求めるものである。
今回もし「不起訴」にでもなれが、「検察審査会制度」そのもののあり方を問わなければならない。検察は速やかに再捜査を行い、即刻起訴すべきである。その上で、有罪、無罪の判断は裁判所に委ねるのが本筋ではなかろうか。
マンションにビラ撒きの為に立ち入った人間を住居侵入罪で起訴する検察が何故この事故を不起訴にしたか理解不能である。

2007年12月12日水曜日

初体験「市議会本会議傍聴」

時半から開議とのことで、間に合う様に市役所に出掛けました。議会事務局で受付を済ませ、「傍聴券」と「定例会質疑・質問一覧」を受け取り傍聴席に向かいました。先に数名の市民が着席していました。市の関係者は議場におられたが議員の姿はありません。9時半を過ぎても開会される事は無く、待つこと約30分、10時過ぎから始まりました。議案の提案説明などが約15分ほどあって直ぐに休憩が宣言されました。(どどどど~~~~なってんの市議会って、という気持ちです。)追加案件の提案だったらしくその質問があるかをそれぞれの会派で検討される為の休憩だそうです。

10時55分ごろ、やっと議員の方からの質疑が始まりました。議員の質問も市側の答弁も事前に決まっていてそれぞれが原稿を読み上げるスタイルであり、セレモニーとしか思えないものでした。一問一答形式の丁々発止の議論ができないものかと思います。事前に用意された質疑でありながら質問に対して真正面から答えているとは思えない答弁者もおり、市側の姿勢に疑問を感じました。

答弁が一通り終わると議長が質問者に「よろしいですか?」と聞きます。会派の一般代表質問者の三人までは「はい」と答えていました。答えになってないと思える答えを貰って「はい」って、そんでいいの?疑問にも思いました。議会の慣例なのかな。ところが最後の共産党の議員の方だけが、答弁に納得しないのか「はい」と答えず、再質問されていました。偉い。

次は、一般個人質問です。13名の議員が質問されるのですが、今日は8名で時間切れとなり、後の方は明日引き続き質問されるとの事です。この一般個人質問では、3名の議員が再質問をされていました。納得できない答弁には絶対再質問すべきです。一期目の議員さんや会派に属さない真の無所属の方の真剣さを強く感じました。悪しき議会の慣習に染まる事無くいつまでも活動されることを希望します。

議員は全員が質問に立つのかと思いきや、5名ほどの議員は質問が無いようです。議員として活動していれば最低一つや二つの質問があってもよいはずと思います。流石に国会中継をよく見かける居眠り議員がいなかったのは大変良かったと思います。

市民も議員を選んで終わりではなく、出来る限り議会でどの様な発言をされているか見届ける責任があると感じました。同時に議員の方々の市政報告を積極的に行ってもらいたいものです。

2007年12月11日火曜日

新聞拾い読み、雑感!

本日付け、朝日新聞朝刊の記事より。
【京都市長選 門川教育長推薦自民府連が決定】タウンミーティング京都訴訟の被告である、京都市の教育の責任者で「やらせ」の元凶なのではないでしょうか。常に上を見て仕事をする典型的人物と言われています。自民党のみならず、公明党も、民主党も推薦予定とは呆れたものです。候補者が出揃ったら消去法で真っ先に投票対象から除外して欲しいものです。

【神戸刑務所が偽装請負】派遣労働者に対して、出退勤管理や業務上の指示を行ったり、業務時間外の会議への出席を命じていたなど「偽装請負」になることを行っていたというが、この様な派遣労働者の使い方は日常色々の企業で当然の如く行われている。家族が勤めている流通業でも当然の如く繰り返されていると日々聞かされている。そもそも派遣労働を法的に認めた事が全ての間違いの始まりである。人を商品としてのように扱う事は認めるべきではない。

【人を救う視点が無い 原爆症基準案】原爆症認定基準の見直しといい、薬害肝炎患者救済問題といい、この国(厚生労働省)は全く国民を救うという視点など持ち合わせていない事がよく分かる。各省庁を横断的に束ねて、国民の側に立って、国民の命と暮らしを守って行こうという機関が絶対に必要である。官僚の不作為を積極的に正せない政治(福田内閣)など必要ないのではなかろうか。官僚内閣制の政治はごめんこうむりたい。

【キャノンから手数料、コンサル社長】日本経団連会長の御手洗冨士夫氏が社長のキャノンは偽装請負を行っていたり、今回の不透明なカネの流れに係わっているなどおよそ健全な企業とは言い難いのではなかろうか。この御手洗氏は色々と日本のこれからのあり方を提言しているが、その様なことを言える資格を持ち合わせているとは到底思えない。日本のことを語る前に、自らの足元を正してもらいたいものである。

2007年12月10日月曜日

酷い、警察の取調べ!

児島県、志布志警察署が行った「自白の強要や数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留など違法な取り調べ」による県議選での選挙違反冤罪(捏造)事件や富山県、氷見警察署が無実の元タクシー運転手を任意の取調べで過酷な状況下、取り調べ警察官の真実に反する誤導により、容疑を認めさせて服役までさせた冤罪事件が続いている。全て警察の不法な取調べ方法に起因している事は明らかである。

今日の新聞報道では又しても警察の違法な取調べが裁判で明らかになったことが報じられている。(高知白バイ衝突死事件でも明らかな様に裁判で警察の違法性が指摘される方が珍しいのでは)その事件とは、2005年9月に京都で発生した強盗致傷事件である。

一審で有罪とされた男性被告の大阪高裁での控訴審判決では、裁判長は「共犯者に違法な取調べが行われた疑いがある」として、懲役3年6ヶ月とした一審判決を破棄して審理を地裁に差し戻した。

共犯とされた2人の供述調書に取り調べ警察官の不当な誘導がある疑いが指摘されている。無罪の人間が罪をきせられる冤罪事件では無いようでであるが、警察の不当な取調べが現在も反省なく繰り返されていることの証左には違いないのではなかろうか。

一刻も早く、取調べの完全可視化の実現化、弁護士同席の取調べの実現を強く望むものである。

2007年12月9日日曜日

高知白バイ衝突死裁判の無罪を確信!

10月30日、高松高裁で「全く反省の気持ちが無い」として、バス運転手に実刑判決が出た裁判を今日ABCテレビの「ザ・スクープSP」で「警察が証拠ねつ造!?」という形で採り上げていた。検察の主張と被告側の主張を実験を交えて詳しく検証した番組であった。この裁判のことは度々このブログでも採り上げた。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20071030

以前から、「KSB瀬戸内海放送」がシリーズでこの問題を詳しく報じてはいたが全国ネットの放送がされると言う事は、いかに問題点を多く含んでいるかの証明である。

最大の争点の一つ、「バスは停まっていたのか。動いていたのか」という点に関して、裁判では反対車線をすれ違って衝突を目撃していない白バイ警官の証言を信用できると採用して動いていたとしている。その反面、バスに乗っていた生徒や、バスの後ろの車からみていた校長の証言、そして事故の直前白バイに猛スピードで追い越された第三者の証言などはことごとく信用できないと退けている。

こんな出鱈目とも思える裁判が現実に行われるのなら、証人として裁判で証言などする気になれようか。見た事を正直に証言しようとも偏見に満ち満ちた裁判官の心象で信用できないとされる事は屈辱である。

司法の信頼を大きく揺るがした裁判と断ぜざるを得ない。このバス運転手の名誉が回復されるのは何時のことなのだろうか。多くの方々に今後も注目してもらいたい事故である。

2007年12月8日土曜日

この国の用語は奇奇怪怪である。

道路特定財源の見直しを巡る政府・与党協議会が7日午前、首相官邸で開かれ、2008年度から10年間、暫定税率による上乗せ課税分を含めて現行の税率を維持することなどで正式に合意した。そもそもガソリン税増税は1974年のことである。財源不足を補う目的で租特法によって「2年間の暫定措置として」増税された。2年後、増税は撤廃されなかった。これが今日も続いており、しかも更に10年間延長すると言うから厭きれてしまう。

【暫定】を辞書で調べると(正式な決定がなされるまで、仮の措置として、とりあえず定めること。)とある。仮の措置を40年以上も続ける異常さは如何なるものか。

反面、橋本首相が言い出し、小渕内閣で実現した定率減税は、家計の税負担を軽減する目的で導入された「恒久的な減税」であったはずである。それが昨年半減され、遂に今年廃止されてしまったのである。

【恒久】を辞書で調べると(ある状態が永く変わらないこと。永久。)とある。

全く逆の意味で使われているではないか。政治家や官僚が使う言葉を理解出来ない。この様な使い方は他にも多々あるのではないだろうか。是非【政治家・官僚・用語辞典】なるものを作ってもらいたいものである。そうしないと審議される法案などを正しく国民が理解することなど覚束ない。

2007年12月7日金曜日

ご退場願えないのだろうか!

船場吉兆が牛肉産地偽装などの会社責任を認めた。一連の偽装発覚以来一貫して、従業員や取引先の責任であると言い続けていた事が【真っ赤なウソ】だったと言う事である。食品を扱う業界で偽装が相次いで発覚しているがこの「船場吉兆」ほど発覚後もウソを付き続けた企業はないのではなかろうか。

危機管理体制が成ってないばかりか、信用失墜行為を繰り返していた経営陣を信用など出来ようか。営業を再開したいがばっかりに、最低限の形だけを取り繕ったとしか思えない。真に反省しているとなど到底思えない。

今回の会社責任を認めた中でも許せない事がある。それは「福岡市の店舗で行われた消費・賞味期限の改ざんについては、経営陣の直接的な関与は否定。ただ、現場のパート従業員らに商品をすべて売り切るようプレッシャーをかけていたとして、改ざんの「結果責任」が経営陣にある」と言う中途半端な表現である。この様な不祥事が起こったら、一切経営陣が知らなかったとしても当然最初から「経営陣に結果責任はある」のである。

この様な事は最初の謝罪会見で言ってしかるべきであろう。パート従業員の方が会見で述べられたことの法が真実味を持っている。

心斎橋店で予約や会計などの事務担当だった二人のパート従業員の方が会見で冒頭、「お客さまには大変ご迷惑をおかけしました」と深く頭を下げたという。湯木喜久郎取締役はこれをなんと思って聞いたのだろうか。湯木喜久郎取締役の一連の発言などを報道で知る限り、企業人としてだけでなく、人間として失格と思えてならない。
船場吉兆には即刻退場していただきたい。営業再開など許されざることである。

2007年12月6日木曜日

フィンランドの教育が注目されている。

先日あるブログで紹介されていたのですが、NHK出版の未来への提言「「学力世界一」がもたらすもの」にフィンランドの教育の事が書かれているとの事です。まだその本を読んでいないのですが、そのブログを読んだ限りにおいては、現状の日本の教育と全く異なっているとうことが分かります。「教育には自由が欠かせない」や「最も重要なのはモチベーションだからです。教師の意欲、生徒の学習意欲、それこそが核心なのです。厳しく管理すれば、モチベーションが失われ、結局何もかもだめになってしまうのです。」などまさにそのとおりでしょう。

今日の朝日新聞夕刊に「フィンランドっ子なぜ賢い」という記事を見つけ、フィンランドの教育に注目したブログの筆者の先見性に驚いた次第です。

新聞記事によると「競争をやめたら学力世界一ーフィンランド教育の成功」の著者、福田誠治・都留文科大教授は「成功しているのは、教師がすべて修士号を取得していて質が高く、同じ学校で長く勤務して責任を持たせている為だ。まねるだけではダメ、教師の環境を整える事が第一だ」といってられる。

競争と言えば、先日拝聴してTM訴訟市民集会である先生が、学力テストで平均点以下だった先生に対して校長が厳しく平均点以上になるよう叱責するという。評価基準が平均点程ナンセンスなものは無い、全員が平均点以上などありえないのである。この様に達成不可能な課題を与え競争さす馬鹿げたやり方がまかり通っているのが日本の教育現場なのだ。

2007年12月5日水曜日

食の安全徹底を強く望む

日本では、食品の表示偽装事件が後を絶たない。最近は幸いにも健康被害が報告されていないのが救いではある。食品を扱う企業は利益追求もさることながら徹底した安全対策が求められる。今日も消費期限偽装などで営業を自粛していた「御福餅本家」が営業を再開した。今の気持ちを持ち続け二度と問題を起こさない企業になってもらいたいものである。

日本の問題と比較して、中国は深刻は事態と感じる。今回インスタントラーメンを食べた小学生4人が死亡する事件が起こった。品質管理や衛生管理など日本では考えられない杜撰な体制になっているという。

食料自給率の低いこの国では、中国からの食品輸入が多く行われている。今までの鰻や野菜等々問題となったものが多い。スーパーなどでは以前より中国産の野菜などが減っているように感じるが何処へ消えたのか不安である。

まさか中国産と表示すると売りにくいので偽装が行われているとは思いたくないが確りした国の監視体制を作ってもらいたい。輸入食材を加工して販売したり、外食産業で使われるケースも多いと思われるが消費者にも分かり易い形での法整備もお願いしたい。

2007年12月4日火曜日

モンスターピアレンツ考

最近マスコミなどで「モンスターピアレンツ」なる言葉をよく聞くようになった。モンスターピアレンツとは、学校に対して暴言や暴力行為をし、理不尽な要求をする親達のことを言うらしい。

今の教育現場では、全ての事がトップダウンでなされるようになっているというではないか。職員会議も議論の場から伝達の場へと変わり、校長に質問しても「教育委員会の方針です」と言うだけで全くとり上げようとしない。

国歌、君が代問題にしてもそうだが、決められたことには何も言わず、考えず従うことだけが求められている。何事にも問題意識を持って行動する事が否定される世の中であって良いのだろうか。

教育も学校に丸投げで任せきりにする方が問題であり、物言う親が多ければ多いほど学校教育現場も良い方向に向かうと考える。マスコミの取り上げ方はこの国の言論封殺の動きに与するものだ。

「KY」なる言葉も同じように言論封殺に利用されようとしている。今の教育方針に疑問を感じて教師が校長や教育委員会に物言っても中々取り合ってもらえないばかりか、排除されることもあるというのだ。

教師が言っても聞かないことも親が言えば効果があるので、物言う親になって欲しいと願っている教師の方々が大勢いらっしゃることを「タウンミーチング訴訟市民集会」でのお話で知りました。

モンスターピアレンツと言われることなど恐れずにどんどん発言する人たちが増えることを期待する。黙ったいては何も始まらない。黙ったいては何もよくならない。

2007年12月3日月曜日

政治の大人の対応って何?

大政党による政権交代可能な国会で緊張感ある議論を期待していた。しかし今の自民党と民主党で根の部分で確りと繋がっているのではないかと思えてしまう。完全に破綻したと思える大連立構想もいまだにくすぶっているというではないか。
民主党が今国会最大の対立法案と位置づけていた「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」も着地地点を水面下で探っているという。
鳩山幹事長の大人の対応発言には失望を感じずにはいられない。日本の政治には自民党と民主党による二大政党ではなく、対抗しうる第三勢力の台頭が強く望まれる。当然それは日米軍事同盟NOであって欲しいものである。

2007年12月2日日曜日

模擬裁判、分かれる判決!

09年春から始める裁判員制度に向けて、全国の8地裁で同じ内容の事件を扱った模擬裁判が行われた。判決は懲役14年から無罪まで大きく分かれた結果となった。

日本弁護士連合会裁判員制度実地本部の弁護士は「同じ条件で量刑にあまりに大きな差が出るのは、裁判の公平性を保つ上で問題だ」と疑問を投げかけていると今日の朝日新聞朝刊が報じている。

しかし、同じ事件を扱う地裁と高裁や最高裁で専門の裁判官が裁いても全く違った判決が出る事は往々にしてある事である。今回の模擬裁判の判決結果を以って素人が参加する裁判員制度を疑問視する事の方が寧ろ問題なのではなかろうか。

上記のようなコメントをした弁護士は、無罪を主張して戦った裁判で主張が認められず敗れた場合に上告は一切行わないのだろうか。同じ条件なら判決が覆る事は無いと考えているなら上告は無駄以外の何物でもない。このことからもこのコメントをした弁護士の論理矛盾を感じずにはいられない。

今回の模擬裁判の条件は「犯行時は心神耗弱だった」とした捜査段階の簡易鑑定書や、心神喪失を認めた起訴後の精神鑑定書が提出されたという極めて判断の難しい問題を取り上げている。

そもそも、精神鑑定は鑑定する鑑定医によって様々な結果が往々にしてでるようであり、且つ精神耗弱と精神喪失では量刑に雲泥の差があることの方が問題にすべき事である。裁判員の中には容疑者の責任能力を「容疑者の行動は常識を超す」として限定的に解釈した人もいたようである。犯罪容疑者の行動の大半は常識を超えたものと考える私には全く理解出来ない解釈だ。

常識を超えた行動で減刑されたり、無罪になったりするなら、現在起きている事件の容疑者の大半は無罪になってもおかしくない。

精神耗弱や精神喪失を理由にした量刑の軽重は一切無くすべきである。その上でこれらの病を患っている犯罪者には治療のプログラムを行える刑務所を作って其処に収容すべきである。即ち刑の服し方に違いを設ける方が合理的であろう。

2007年12月1日土曜日

生活保護基準引き下げ反対!

昨日も採り上げたが、国民生活最後のセーフティーネットである生活保護費が削減されようとしている。この事は本日付朝日新聞の2面<時時刻刻>でも採り上げられている。引き下げの根拠が低所得世帯との比較で「保護基準は高い」とする検討会の報告書だというから呆れたしまう。

新聞記事に依ると、この引き下げが実施されると、生活保護を受けている世帯(人)だけに影響があるのではないとう。生活保護を受けていない世帯(人)は関係ないと思ってしまうことは大きな間違いなのだ。つい先日の国会で成立した改正最低賃金法への影響が早速表れるという。

改正最低賃金法には、最低賃金を決める際に生活保護基準にも配慮する事が明記されている。本来の主旨からすると、生活保護基準以下の賃金は上げるべきであり、生活保護基準を引き下げる事は本末転倒である。

この他にも、住民税の非課税限度額にも影響し、低所得で住民税非課税の人でも課税対象になるという。しかも非課税なら小額負担で済んでいた介護保険料、保育料、医療費の月額上限等々様々な負担増となる。この様な<生活保護基準が目安>としている制度は13項目にも及ぶというからその影響たるやとどまるところを知らないだろう。

全ての国民が安心して暮らせる国である為の、最後のセーフティーネットである生活保護基準の引き下げは国の破壊行為以外の何物でもない。この様なことを考える官僚組織は徹底的に破壊すべきである。之に与する如何なる政治組織も許す訳にはいかない。