2007年12月31日月曜日

今年一年雑感!

今年も今日で終わりだ。今年を表す漢字に【偽】が選ばれるという悲しむべき年であった。個人的には【騰】を実感した年と思う。収入が全く増えない質素な生活をしている身には、ガソリンや灯油の値上がりは言うに及ばず住民税や社会保険料其の他の公的負担金の増加。そして日々の生活に欠かせない各種食品の値上がりとここ数年体験したことの無い状況であった。
各種報道に依ると、来年は更なる値上げ攻勢が待ち構えていると言う。収入増の見込めない(個人的不景気かな)いま、生活防衛をいかにすべきか苦慮している。
貯蓄から投資へと言われて久しい。その言葉に踊らされ、微々たる貯蓄を株式投資につぎ込んだらなんと日本の株式市場は5年ぶり?かの年間陰線を記録してしまった。それに正比例し当然私の株式投資も赤字であった。
貧乏人は少ないお金を増やそうなどと考えず慎ましやかに生活するのが一番である。
来年は質素を旨とし、堅実な生活を心掛けたいものである。そして、ここで憤慨したりする事件などが起こらないことを祈らずにはいられない。日記の題材に苦労し、一日の平凡な出来事を綴れる日が来て欲しいものだ。
最後に、拙いこの日記をお読みいただいた方々全てが【良い年を迎えられる】事を祈念します。

2007年12月30日日曜日

裁判員制度考察!

日新聞【耕論】は裁判員制度について述べられている。内閣府の2006年12月の調査で、知っているが80.7%あり、この一年で更に認知度はアップしている事だろう。残念なのは義務であっても参加したくないが33.6%もある事である。お上にお任せの社会から国民自らこの社会を作っていく為に、権利として参加したいと思う人が増えて欲しいものである。
今日の論客の中では、大久保太郎さん・元東京高裁部総括判事の意見には違和感を感じる。氏は【『違憲』濃厚強行を許すな】として「裁判員は表決にあたり裁判官と同じ一票を持つから、実質裁判官だ。これは、憲法80条一項の規定に抵触する。裁判員が裁判に関与する根拠は、憲法のどこにもない。」「また、憲法37条一項は被告の『公平な裁判所の裁判を受ける権利』を保障しているが、その裁判一回限りで何の責任も負わない裁判員が加わった裁判所が『公平な裁判所』といえるのだろうか」と述べている。
80条一項に関しては、裁判員を実質裁判官と看做すことに無理がある。表決で一票を有していようとも全ての権限まで裁判官と同じではなかろう。裁判官と裁判員は違うのである。公平性の議論は、全く官の驕り以外の何物でもなく、国民を愚弄するものである。プロの裁判官が公平で一般国民の行いげ公平で無いなどとよく言えたものだ。
その点、四宮啓さん・弁護士の【司法を国民に取り戻そう】は共感を覚える点が多々あり納得できる意見であった。特に「国民が議論した末の結論こそ『真実』だという考え方を日本社会は身に着けていくだろう」と述べてられるもはまさに、裁判員制度に限らず今後日本社会が目指す道そのものだろう。
また、バレリー・ハンズさん・米コーネル大ロースクール教授が言ってられる「守秘義務」のあり方などの制度は【壮大な実験に注目したい】とあるように今後結果をみてより良いものにしていってもらいたいものである。

2007年12月29日土曜日

またまた新幹線新駅問題を考える!

滋賀県の新幹線新駅問題対策専門委員の意見交換会が昨日開かれたとの朝日新聞の記事を目にした。新聞の見出しは【「新駅後処理は県に責務」区画整理巡り専門委が指摘】となっていた。その記事に依ると、新駅中止を評価する意見がでたが、事後処理に関しての県の責務を指摘する意見が相次いだという。
青山吉隆・京都大学名誉教授は「事業を続けた場合と、中止した場合の費用対効果をきちんと示すべきだった」と指摘。山崎浩一弁護士も「費用対効果を示すことは、公共事業を続けるかどうか住民が評価する際の大事な基準になる。」と話した。とあり、両者の意見は至極当然のように聞こえる。しかしこの考え方には納得できない。この国の公共事業の全てと言っても良いくらい推進派達や官僚の[まやかし]の評価によって騙し続けられてきた歴史がある。事業を推進したいが為の数字合わせの需要見込みがなされるなど日常茶飯事ではないか。何れにしても将来に亘っての正確な費用対効果測定など出来ないと考えた方が良い。反対派は反対派で幾らでも見積もれるからである。
そんな中、田中治・大阪府立大経済学部長が「公共事業の実施計画は一定の期間で見直す仕組みをあらかじめ作る必要がある。」という意見は傾聴に値する。
何十年も前に先人達が夢見て計画したことを、世の中が変わってその事業を粛々と推進している現状を改める機会にしたいものである。
最後に、土地区画整理事業について、山崎弁護士が「政策変更に行政の過失がないにしても、変更によって不利益を被る人にきちんと補償を行うべきだ」と指摘した。これに対し嘉田由紀子知事は「公費で補償する法的根拠はないのではないか。」と反論したらしい。
全く、嘉田知事の考えは正論であると考える。この考えを押し通してもらいたいものである。山崎弁護士は、計画が変更されず、巨額の投資で実現し財政が悪化して不利益を被る県民にどう補償するのか。この多くの県民が被る不利益を回避したことを評価すべきである。余程この事業を推進することで利益を目論んだ人たちがいることを証明する発言以外の何物でもない。一部の地権者の利益代表的発言は許せない。

2007年12月28日金曜日

大江康弘参議院議員は自民党の間者か!?

大江康弘参議院議員(民主党・比例区)が党の揮発油税暫定税率撤廃方針に真っ向から反対し、自民党の道路族議員と行動を共にしているという。党内で署名活動を行い三十数名の署名を集めたらしい。道路特定財源の内特に暫定としているにも係わらず永年恒久的に続けている税制を原点に戻すのに何故反対なのだろう。「地方には必要な道路がまだまだあり、その税源を確保し自由に使う為には廃止すべきでない。」等と嘯いているが、必要な道路があるなしの議論など無意味である。必要な道路がある事は当然であって、その中で少ない財源(潤沢な特定財源を減らし)の中から如何に優先順位をつけていくかだけだろう。

この、大江康弘議員に関しては、今までにも此処で過去3回も記してきた。最初は、2006年11月26日に和歌山県知事選挙の候補者選定についてであった。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20061126そして二回目は2006年12月17日に同じく知事選挙での自民党を利する行動をした件だ。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20061217更に、2007年12月23日に今回と同じ件で記した。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525660&log=20071223

折角、自民党との対立軸を明確にして二大政党制の良さを国民に訴えようとしている矢先に、自民党の悪しき体質と全く同じ行動をとるのは民主党の中の自民党間者としか思えない。

2007年12月27日木曜日

門川前教育長の行いの非が証明された。

平成20年2月17日に行われる、京都市長選挙に立候補を表明している、京都市教育委員会の前委員長門川大作氏の遵法精神の欠如と独善体質が裁判で立証された。
門川大作氏についてネット上で【門川教育長12の大罪】と云うのを見つけた。その中の一つに【物言わぬ教員をつくるため、優秀教員表彰やパイオニア委託事業等の名目で、この6年間で約6000名もの教員に2億数千万円もの公金をばらまいてきた罪】というのが記されている。
この事に関して市民団体らが京都地方裁判所に起こしていた訴訟の判決が昨日あった。判決内容は朝日新聞の記事によると「市教委が奨励する『教育改革パイオニア実践研究事業』で、学園長が推薦する教職員に図書購入費の名目などで1人5万円まで支給。この2年間(2002~03年)に教職員1425人に計約7100万円が支払われた。この研究委託費の支給は『教職員の勤務に対する報酬と区別し難い支出といわざるを得ず、法律や条令以外では支給出来ないとしる地方自治法に反する。』」と指摘して、桝本頼兼京都市長に対して、「違法な支出をしないようにすべきだったのに漫然と怠った」として「門川大作前教育長らに2年間の支出全額約7100万円を請求する」ように命じた。というのである。
京都市は控訴する方針を示していると言うが、例え一審判決であり、確定判決では無いとは言え、教育長という立場にある人間が法律を無視して独善的に公金を支出していた事は紛れも無い事実である。この様な人物がもし京都市長に当選したならば、そしてこの判決が確定したならば、市長たる門川が前教育長たる門川に請求するという考えられない事態となる。この他にも、11の大罪が綿々と綴られているのを読むと果たして市長に相応しい人物なのかおおいに疑問を感じる次第である。
京都市民でない小生に京都市長選挙の選挙権が無いのが甚だ残念の極みだ。

2007年12月26日水曜日

朝日新聞、社説に異論あり!

26日朝刊の社説の一つに【NHK新会長 経営委員会の見識を疑う】というのがある。NHKの組織や、新会長の仕事、更には新会長に選ばれたアサヒビール相談役の福地茂雄氏がいかなる人物か知る由も無い小生が言うのもおこがましい事ではあるが、「NHK会長は何よりも高いジャーナリズム精神の持ち主でなければならない」とし、財界人では務まらないと主張している。更に、福地氏は放送界にもジャーナリズムにも無縁であり、予算を国会で等差無ければならず、常に政治との距離が問われる。政治家が何を言ってきても、がんとしてはねつけなければならない。ビール会社の営業畑の人がふさわしいのだろうか。とまで言う。

これ程、一般企業人や営業に携わって来た人間を見下した言い方は無いだろう。放送界に生きてきた人物がそれ程ジャーナリズム精神に溢れているのか。放送界で頻発したやらせ番組や捏造番組が作られたのは何故なのか。またどこかの新聞社の社主の言動を見るがよい。決して高い理念に基づいて行動しているとは思えない。

自らの業界だけが一歩高いところにいると考える思い上がった社説と言わざるを得まい。

2007年12月25日火曜日

裁判所は憲法判断を避けるな!

朝日新聞夕刊に《9条判決 天で待つ》と言う記事があった。それは、去る7月30日に亡くなられた小田実さんが原告代表として国を相手に、「戦火のイラクへの自衛隊派遣は武力行使を禁じた憲法9条に違反する。として派遣の違憲確認や差し止めを求めた訴訟」の大阪高等裁判所での判決が明日言い渡されると言うものである。
この様な訴訟は全国10地裁で相次いだが、地裁段階では憲法判断を避けて「民事上の請求権はない」として原告敗訴の判決が出て、今5高裁で控訴審が続けられている内の一つだという。専門的法律知識の無い小生には「民事上の請求権はない」等と言う事は分からない。しかし、日本の国民がその国で行われている事実に対して憲法上疑義があると考え裁判に訴えるが(請求権が無い)と退くられる事は理解できない。納めた税金が使われて自衛隊が活動する事は直接的に全ての国民に関係あることではないのか。
行政府や立法府の行為を被害を受ける国民が司法に訴える事は民主主義国家で許される当然の権利である。特に昨今、憲法が蔑ろにされるよう動きが頻発している状況下では司法判断が唯一の救いではないのか。
明日の大阪高等裁判所の判決は、訴訟事実に正面から応える内容の判決であって欲しいものである。合憲なら合憲・違憲なら違憲とし、決して憲法判断を避けてはならない。もし憲法判断を避けるならそれは司法の死さえも意味するものとなろう。